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高森明勅
2017.9.19 22:00

「7条」解散への疑問

衆議院の解散。

北朝鮮を巡る緊迫した情勢下、
わざわざ政治空白を作って選挙とは。

どこまで平和ボケなのか。

今しか勝てない」というのが本音らしい。

国民の安全より自らの権力を守る方が遥かに大切、
という安倍首相の考え方がよく分かる。

解散には7条解散と69条解散がある、
と言われている。

69条を根拠とした解散は理解しやすい。

内閣は、衆議院で不信任決議が可決されたり、
信任決議が否決された場合、
「10日以内に」
衆議院を解散しないと、「
総辞職しなければならない」と、
憲法に明確に規定してあるからだ。

ところが7条は、天皇の国事行為の1つとして
「衆議院を解散すること」
を挙げているに過ぎない。

だから、解散を巡る解釈には対立がある。

1つは、解散は69条に定められた場合に限る、という解釈。

もう1つは、衆議院が民意を反映しているかどうか
確かめる必要があれば、
内閣の政治的裁量によって、
殆ど無制限に解散権を行使できる、
という解釈だ。

現在の通説は後者。

民意による政治的争点の選択を、
首相の主導下で確保し、
内閣が国民に対する
責任を果たす為の手段という見方だ。

しかし、憲法解釈のロジックとしては、かなり無理。

天皇の国事行為は、一般に「形式的・儀礼的」な行為とされる。

例えば、6条の内閣総理大臣と最高裁長官の「任命」も、
それぞれ前者は国会、後者は内閣の「指名」に基づく。

他の国家機関が実質的に決定した内容を、
儀礼的に天皇の行為という形式を踏むことで、
天皇の歴史的、
精神的な権威によって、より「重み」
あるものにする意味がある。

国事行為に「衆議院を解散すること」が含まれていても、
それに実質的な「
決定権」を伴わないのは自明。

ならば、その形式的・儀礼的な行為に対して、
内閣が「助言と承認」
を行うからと言って、
それを根拠に解散“決定権”を主張し、
勝手に解散を行ってよいという理屈にはならない。

それを主張する為には、憲法上、別の根拠規定が必要だ。

しかし、69条以外には規定がない。

にも拘らず、あえて7条解散を認める通説は、
法的整合性より、
解散による民意の汲み上げという実利(?)
を優先している。

しかも、通説でさえ次のように戒めている。

「解散権は、内閣(すなわち与党指導部)にとって
いちばん好都合な選挙時期を選択することを可能にし、
野党に対しても与党内の異分子に対してもきわめて
強力な武器とな
るものであるからそれが党派的あるいは
派閥的に濫用されないような政治的慣行の成
熟が必要」
(伊藤正己氏ら)と。

私らは、その「濫用」の最たるものを目前にしようとしている。

既に「解散権が政治的に濫用されないためには、
濫用をゆるさない有権者の成熟した反応が選挙結果によって
示され
る以外に、最終的なきめ手はない」(樋口陽一氏)

との指摘がある。

果たして―。

高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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